Comments: 小津安二郎映画の「???」

NHK小津安二郎特集にみる巨匠の変容

昨年は「7人の侍」“盗用”事件、ETVでは人が死んだら体重が10g以上へって、その分がエネルギーに変わる、という某僧侶の珍説を堂々とながしたりて物議をかもしたNHKですが、小津安二郎全作品放映は近来の快挙でありました。無声作品の字幕の台詞、音楽の入れ方も抑制がきき見事な出来ばえ。故人がみても満足したのではないでしょうか。
改めて痛感したのは、劇映画も文学と同様にその時代と社会を反映していることです。鵜呑みにはできないにしても、ある時代のドキュメントとしての価値がある。一連の小津作品は、満州事変から中国侵略に突入していった当時の人々の暮らしと哀歓、風景(環境)を伝える映像記録としても興味深いものがありました。Only Yesterdayというのに、私たちは昔の月給取(鞄をさげて勤め先に通う人や“職工”(工場労働者)の生活実態についても知るところが少ないようです。全作見たわけではありませんが、例えば子どもの医者代をめぐる話だけでも4作品ありました。
「その夜の妻」(1930年)は娘の医療費のために強盗をはたらく失業サラリーマンの悲劇です。
「出来ごころ」(33)息子の医者代のために北海道の“タコ部屋”の人夫に応募しょうとする職工とその友だちの人情話。
「東京の宿」(33)“酌婦”に身を落とそうとする若い母と、その病気の娘を救うために泥棒をはたらく子連れの職工の話。
「一人息子」(36)親子3人の久々の行楽費を寡婦の子どもの治療費に用立てる心あたたまるエピソード。
「風の中の雌鶏」(48))夫は出征中。子どものために万やむなく若妻は一夜春を鬻ぐ。
いずれも悲しいお話ですが、主人公たちはひたむきに生きているのです。それはイラン映画、アッバース・キアロスタミの作品に通じる世界でもあります。仕事を求めてさすらう親子像は、戦後イタリアンリアリズムの代表作、デシーカの「自転車泥棒」を想起させます。その達人が、50年代以降「豆腐屋だから、豆腐以外はつくれない」と韜晦するかのように、生きた人間、生きようとする人間に背を向け、独自のせまい世界にひたりきっていったのは何故なのでしょう。小津監督の伝記的ドキュメンタリー映画にもはっきりした回答はなかった。尚、一連の旧作をみて、飯田蝶子は原節子以上の俳優であることを知りました。笠智衆も小津のロボットみたいになった戦後の作品より、はるかに良い,自分の芝居をしていることに気づきました。誰も誉めない「長屋紳士録」の大道易者、見事だったですね。
                         
ぬのむら けん                         稼業 映像ディレクター

Posted by ぬのむら けん at 2004年01月25日 19:45

ぬのむらさん、コメントをありがとうございます。

わたしのblogなんてどうせ誰も読んでしないやと思い手抜き、やる気のないようなを書いていると、ぎっちょんちょん…時々ぬのむらさんのような方から至極まっとうなコメントがあるので嬉しいやら怖ろしいやらです。

>50年代以降「豆腐屋だから、豆腐以外はつくれない」と韜晦するかのように、生きた人間、生きようとする人間に背を向け、独自のせまい世界にひたりきっていったのは何故なのでしょう。

小津監督が大陸に出征してから「未だ生きている目に菜の花の眩しさ」という句を作ったり「戦争のよろしさは悲壮の明るさにあり」と韜晦的に言ってみたり、思うに大陸の戦争を体験してからは「自転車泥棒」に見られるようなリアリズムの世界を描くことに倦んでしまったのではないでしょうか。戦争中に作ろうとしたのが夫に嘘をついて女性四人で温泉旅行をする「お茶漬けの味」だったといいますから、戦争を体験することで小津のスイッチが切り替わったように思えますがどうでしょう?ちょっと話は飛びますがSF作家のカート・ヴォネガットはドレスデン爆撃という悲惨な体験をしているのに小説にはナマな形では書いていません。小津監督にもそれに共通するものがあったのではないでしょうか。

「長屋紳士録」の笠智衆がお茶碗を叩いて歌うシーンはよかったです。世の中みんなお上品になったせいか、お茶碗を叩いて歌うような庶民的な宴会はなくなりましたね。

Posted by fuqusuke at 2004年01月25日 22:40
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