先に載せた群馬県新田町の「日本映画史フェスティバル」も本日の木下恵介監督作品の「日本の悲劇」と「喜びと悲しみも幾歳月」の上映をもって終了。
ところでこの映画会の観客ですが圧倒的に中高年の方々が多い。昨日のプログラムは「大魔神」と「ゴジラ」('54)だったので、若いひとも見にくるのかなと思って客席をながめていたのだが、それらしいのは数人だけで、客席は普段どおり年配のひとたちばかりだった。「大魔神」も「ゴジラ」ももはや彼らの興味の対象外なのかもしれない。彼らの関心事は映画よりもサッカーやTVゲームなのだろう。
町で企画する上映会なのだから採算を気にしなくてもよいのかもしれない。中高年者を対象にして満足してもらえば、それでよいのかもしれない。しかし、これが民間の企画なら大赤字であろう。上映会に合わせたロビーで「山中貞雄と前進座」に関する展示品を陳列していたが、これは「フィルムセンター」でおこなうべきようなもので、小さな町の文化ホールでこのような企画をやってもどれほどの人たちに興味をもたれるのか、疑問が残る。田中純一郎にこだわることなく、もっと自由に多くにひとびとの関心を集める映画フェスティバルにしてもらいたいと思う。
木下恵介監督の「日本の悲劇」。社会派ドラマとでもいうべき路線を狙ったのかもしれないが、見事に失敗作。中途半端な仕上がりになっている。監督の得意とするホーム・ドラマと「社会派」がうまく噛み合っていないのだ。逆に笑えるのはホーム・ドラマの部分で、自宅で英語塾を開いている上原謙(東宝で若大将シリーズをやった加山雄三のお父さんです)が若い女性(桂木洋子演ずる歌子)の塾生に恋をするエピソードなどはかなり笑える。二枚目ではなく三枚目を演ずる上原謙は初めてだ。「ぼくの日記を読んでください。それを読むとぼくが真剣だと貴女にわかるでしょう」と言って数冊分の日記を若い「彼女」に手渡す。これほどナイーブでピュアなおやじがいるだろうか?いや敗戦から10年くらいまでには、まだこんな純粋なおじさんがいたのかもしれない。しかし、これは本筋とは関係ない。物語の主人公は敗戦後闇屋をして(時にはからだを売ってまで)ふたりの子供を育てた望月優子で、現在は熱海の旅館で仲居さんをしている。映画のストーリーは苦労したのにもかかわらず子供たちの気持ちが母親から次第に遠のいていき最後は望月優子が鉄道自殺をしてしまうというシリアスな話なのだが、肝心なこの母親になぜか感情移入できない。もっと母親に的を絞ればよかったのかもしれない。英語塾の先生のエピソードなどを入れることによりテーマが分裂してしまったようだ。
Posted by fuqusuke at 2003年09月07日 21:22新田町の日本映画史フェスティバルにご来場いただき、まことにありがとうございます。
私は、このフェスティバルのプロデューサーをしております本地(ほんち)と申します(私自身は新田の人間ではございません)。
web上のご意見、貴重なごものとして今後の参考とさせていただきますが、プロデューサーの立場としまして、お客様に対しましては「言い訳」になってしまいますが、ひとことだけ申し上げたく、書き込みさせていただきます。
先ず、町の企画ではありましても「採算を気にしなくてもよい」ということは、全くございません。また「中高年者を対象にして満足してもらえば、それでよい」ということも全くございません。
このフェスティバルは、毎年、終了とほぼ同時に次年度の準備を始め、限られた予算(それでも町レベルでは莫大な費用をかけておりますが)内で、より豊富な内容、しかもかつての優れた日本映画に、いかに注目していただくかということを主眼として、人員不足ではありますが、周到な計画のもとに実行しております。
ただし、まだ6回ということもございまして、「中高年」という客層から踏み出すこともなかなか出来ずにおります。今回の特撮ものも、そうした限られた客層を少しでも広げられないか、という意図でプログラムしたものです。結果としましては、成功したとは申せませんが、こうした試みも、続けることで何らかの方向が見えてくるものと思っております。
展示に就きましては、「フィルムセンターでおこなうべき」とのことでございますが、私としましては、フィルムセンターに行かなければ見られないようなものこそ、この地で展示したいと考えております。
おっしゃられる通り、「どれほどの人たちに興味をもたれるのか」という疑問は、このフェスティバルそのものに、誰よりも感じているのは、この私自身です。それでも、この新田で、数少ない機会に、前進座映画のことを、山中貞雄のことを知っていただくことは、無駄ではないと思っております。
また、「田中純一郎にこだわることなく」ということも、田中純一郎の遺品寄贈の経緯を考えまして、こだわらないのであれば、新田で開催することは無理ですし、「映画史」にこだわる意味も希薄になるものと思います。
そして、敢えて付け加えさせていただきますが、こうした企画でも、いずれは「自由に多くのひとびとの関心を集める」ものに育ってゆく、そうあって欲しいと願っております。
更に、今回の「日本の悲劇」は、私は木下恵介の最高傑作として、是非とも上映したい1本であった、と、付け加えさせていただきます。
今回上映した作品も、前進座映画も、山中貞雄作品も、どの作品も、かつては日本全国の街中で、プログラム・ピクチャーとして公開されたものです。このようなものが当たり前であった日本映画の世界、という一面を知っていただくことも、私は意味の無いことではない、と信じております。
まだまだ、試行錯誤は続いており、今後の展望も(経済的理由からも)はっきりとはございませんが、お客様に応援をお願いして、なんとか発展させたいものと思います。
尚、フェステイバル会場や上映作品の無断撮影、2次使用は、著作権に触れる行為です。アナウンスや表示でもご案内しておりますが、今後の開催に影響しかねません。ホームページより、写真の削除をお願いいたします。
これからも、より一層の応援をくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
〒201−0013
東京都狛江市元和泉1−20−14
本地陽彦(ほんち・はるひこ)
本地様
ご丁寧なコメントをありがとうございます。
このblogを運営している管理人です。
コメントがあったことは本日(9/28)知りました。ご返事が遅くなりました。
この記事に新田町の「日本映画史フェスティバル」のプロデュースをなさっている方から直接コメントがあるとは思いもしませんでした。
最初は本地さんの文章を読んで、その内容から判断してwebのコメントではなく手紙かメールで差し上げようかと考えましたが、わたくしの拙い文章でも本地さんのようにきちんと読んでくださる方がいらっしゃるようですから思い直してコメントにいたします。
最初にわたくしの感想はひとりの観客としての感想なので、映画祭を運営する方々の理念とか状況をよく認識しておりません。誤解があったとすればお許しください。
「大魔神」「ゴジラ」は土曜日の上映だったでしょうか。何かスポーツ関連の催し物があったらしく新田町文化会館に併設する体育館にはおおぜいの小学生とそのお母さんたちが来ていました。どうも帰りがけの様子でした。
あの日は「この子たちは家に帰ってスポーツ・ウェアから普段着に着替えてからお母さんと一緒に特撮映画を見に来るのだろう…」などと想像していました。
残念なことにそうではありませんでした。これは「大魔神」をなつかしいと思うわたくしの勝手な想像でした。
「クレヨンしんちゃん」とか「ドラえもん」でも上映すればもっと若いお客さんは集まるのでしょうが「日本映画史フェスティバル」にそのことを望みません。しかし「日本映画史」から少し離れた現代物、北野武のものとか、「ウォター・ボーイズ」話題になっ「たそがれ清兵衛」あるいは宮崎駿のアニメなんかを土日のプログラムに組んでおくともっとお客様を呼べるのではないでしょうか?上映の趣旨からは多少ずれるのかもしれませんが、新田町の町民のみなさんが望んでおられるのは「日本映画史」を知ることではなく「日本映画を楽しむ」ことのように思えるのです。
日本映画にはさまざまのすぐれた作品があるようで、それらを紹介し続けている本地さんたちの活動あればこそ、わたくしもその恩恵に浴しております。
これからもご活動に期待しております。
蛇足ながらわたくしが今回見たかったのは杉村春子主演でハンセン氏病を扱った「小島の春」でしたが都合がつかず見られませんでした。残念です。
機会があれば見てみたいと思っています。
※ご意見に沿って「紀ノ川」の東山千栄子の画像は削除いたしました。