図柄がおもしろいと感じた。魔物のような姿は慈恵大師が禅定し鏡に映った姿という。邪をもって邪を退散させる話は他にもいろいろありそうだ。
佐野厄よけ大師ホームページの説明によるとこんなふうに解説してある。
この魔厄(まよけ)け札は角(つの)大師とよばれて家の外壁にお札が南か東の向くようにお貼りください。 永観2年(984年)慈恵大師様73歳のとき、居室で止観(しかん)(座禅)を行じていたところ、一陣の風とともにあやしい気配を感じ、「そこにいるのは誰か」と尋ねた。すると「疫病(えきびょう)をつささどる厄神(やくしん)である。お前の体を侵(おかす)しに参った。」というではないか。「厄病(やくびょう)の神と申すか。ちょっとこれに憑(つ)いてみよ」 お大師様が自分の小指を差しだしたところ、厄神がその小指に触れる矢否や、全身に悪寒が走って発熱、耐えがたい苦痛に襲われた。そこで円融(えんにゅう)の三諦(さんたい)を観じ、みずから夜叉の形相と化して指弾(しだん)した。すると厄神は退散し、お大師様の苦痛もただちに癒されたのであった。 「わずか指一本ですら、これほどまでに苦しむとは知らなんだ。まして全身を厄神に侵され、それを逃れる術(すべ)を知らぬ衆生は、まことに哀れだ」 心を痛めたお大師様は、翌朝弟子を集めると「鏡に映ったわしの姿を、どんなことがあっても写しとってくれ」と言うなり、鏡の前で禅定(ぜんじょう)に入ったのである。鏡に映っていたお大師様の姿は、徐々に変化し、やがて骨だらけの鬼の姿となった。弟子たちは驚きと恐怖のあまり平伏(へいふく)するばかり。 ただ一人、明普(みょうふ)だけが鏡に映った奇怪な姿を描き写すことができた。禅定から出たお大師様は、明普の画(え)を見て満足そうにうなづき、「これを元画にして版木に彫り、御札に刷(す)るように」と申しつけた。言われたように御札に刷り上げると、お大師様は開眼供養(かいげんくよう)し、「すぐに家々に配って、家の外壁にお札が南か東を向くように貼ってもらうようにしなさい。この御札のあるところには厄神は入らず、厄災(やくさい)からも逃れられるから」効果てきめんであり、魔除けの習俗(しゅうぞく)となった。